東京高等裁判所 昭和43年(う)1847号 判決
被告人 秋本勝利
〔抄 録〕
所論は、起訴状には、訴因として後(起訴状には後とは記載されていない)左側方安全確認義務を揚げ、原判決は、その判文に被害者を避譲させる義務をも認定しているが、原判決認定の右義務は起訴状に訴因として全くその記載がないのであり、この点被告人の防禦に支障を来す本件事案であるから同義務を認定するには訴因の追加或は変更の手続を要し、両手続を経ないで右義務を認定した原判決は刑事訴訟法第三一二条第二項の訴訟手続に違反している。というのである。
よつて案ずるのに、記録によれば、原判決は本件における注意義務として「被告人の車には助手が同乗していなかつたから偶々後退を誘導していた人夫戸丸仁三等に頼んでよく行動の見える安全な地帯に前記幼児を避譲させ、幼児の不測の行動に基ずく事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り………自車を右後方に三度目の後退をさせるに際し自車の周囲の安全を十分確認せず自車運転席右側のドアを開扉し右後方を見乍ら後退した過失により」と判示し、公訴事実においては「右後ろに後退させるに当り、自車左右後部の安全を確認すべき注意義務があるのに運転台の右側ドアーを開け右後方のみを見て、左側の安全確認を怠つたまま後退した過失により」と明示していること所論のとおりである。しかしながら両者を対比して見ると、公訴事実は要するに、後退に当つての注意義務の内容を至極簡明に記載しているのであり、原判決は公訴事実記載の注意義務の内容を事案に則し証拠により具体的に表明したままであつて、この間何等過失の態様に差異があるものとは認められない。即ち、幼児を避譲させたことを確認することは後退に際してのその必要とする周囲の安全、つまり公訴事実記載の注意義務のうちの自車の左右後部の安全を確認することであつて、その注意義務の内容の一部をなしているものというべきである。しかも、原審において検察官が請求し取調べた被告人の各供述調書中には、既に、若し被告人が幼児を避譲させるような行為に出ていたとすれば本件は避け得られたであろう点に関する供述があり(記録一一四丁裏及び一二〇丁表)、当然原審において防禦の機会もあり且つ被告人本人の原審供述においてこの点について防禦が為されているのである。従つて訴因の追加、変更の手続を経ることなく判示の如く認定した原判決には何等所論のような違法はなく、論旨は理由がない。
(石井 山田 中村)